続々・名古屋城
先おとつい、ちょっと名古屋まで行ってきた。
と、言うわけで 今回は名古屋城の石についてUPしたいと思います。
名古屋城の石 と 言えば 「加藤清正公」であらせられます。
彼は 豊臣秀吉の家臣でありましたが 秀吉の死後 関ケ原の戦いには「東軍」につき
その後 肥後熊本を治めたという。(熊本城も造った?)
ほんでもって 城造りの名人ということらしい。
(虎退治も有名らしい)
名古屋城内には 彼の銅像が ↓
そもそも この名古屋城は 1610年に家康が 加藤清正、福島正則・前田利常らの諸大名20名に普請を命じ完成させた。
そののち明治維新までは 尾張徳川家の居城。
しかし 世界大戦の戦争で焼け落ちたという。
そして 昭和34年に再建され今にいたっています。
「清正石」
清正が運んだ石といわれていますが、ほんとは黒田長政のテニトリーなので説話らしいです。
城内の石垣も 先に紹介したように 石垣の築造を命じられた諸大名が自分たちの運んだ石が分かるように
石に目印をつけたといいます。
これを 「刻紋」(こくもん)といいます。
刻紋の拓本 2点 ↓
私は今回 集中して この「刻紋」を 写真に収めてきました。
(これ、前からやってみたかったのです)
まだまだ、△やら□やら○やら いっぱいありました。
↑は 卍のような形
城内の階段の模様にもなっています
墨書ですかねぇ 「東南」かしら? ↓ 見難いけどなんか文字が書いてあった石
石を加工した 「のみ」 の跡がしっかりのこっています ↓
石工さんの丁寧さが しのばれますし、大変さも伝わってきます。
排水路 ↓
しかし このお城だけで いったいどれだけの石が使われているのでしょうか?
これだけの石を短時間で用意しなければいけなかったので さぞ大変なことだったでしょうに!
そういえば ウチの近くの山からも石垣を運んだ と 聞いたことがあります。
(古墳がたくさんあったので古墳の石室の石が運ばれたらしい)
どうぞ 名古屋城へ行ったおりには こんなのも見つけてくださいな。
この石垣の曲線美がいやされます。↓ (私だけ?)
外で ベロタクシー発見!
来年は 名古屋城開府400年。はち丸君も400歳。
更に 地下鉄の柱に 岩瀬さん 発見!
この辺で 名古屋城レポ 終了です。
(いっきに書いたので おかしな文や解説があるかも、そんときはそっと教えてね)
コメント欄 開放しましたよ。
コメント、おてやわらかにネ。
と、言うわけで 今回は名古屋城の石についてUPしたいと思います。
名古屋城の石 と 言えば 「加藤清正公」であらせられます。
彼は 豊臣秀吉の家臣でありましたが 秀吉の死後 関ケ原の戦いには「東軍」につき
その後 肥後熊本を治めたという。(熊本城も造った?)
ほんでもって 城造りの名人ということらしい。
(虎退治も有名らしい)
名古屋城内には 彼の銅像が ↓
そもそも この名古屋城は 1610年に家康が 加藤清正、福島正則・前田利常らの諸大名20名に普請を命じ完成させた。
そののち明治維新までは 尾張徳川家の居城。
しかし 世界大戦の戦争で焼け落ちたという。
そして 昭和34年に再建され今にいたっています。
「清正石」
清正が運んだ石といわれていますが、ほんとは黒田長政のテニトリーなので説話らしいです。
城内の石垣も 先に紹介したように 石垣の築造を命じられた諸大名が自分たちの運んだ石が分かるように
石に目印をつけたといいます。
これを 「刻紋」(こくもん)といいます。
刻紋の拓本 2点 ↓
私は今回 集中して この「刻紋」を 写真に収めてきました。
(これ、前からやってみたかったのです)
まだまだ、△やら□やら○やら いっぱいありました。
↑は 卍のような形
城内の階段の模様にもなっています
墨書ですかねぇ 「東南」かしら? ↓ 見難いけどなんか文字が書いてあった石
石を加工した 「のみ」 の跡がしっかりのこっています ↓
石工さんの丁寧さが しのばれますし、大変さも伝わってきます。
排水路 ↓
しかし このお城だけで いったいどれだけの石が使われているのでしょうか?
これだけの石を短時間で用意しなければいけなかったので さぞ大変なことだったでしょうに!
そういえば ウチの近くの山からも石垣を運んだ と 聞いたことがあります。
(古墳がたくさんあったので古墳の石室の石が運ばれたらしい)
どうぞ 名古屋城へ行ったおりには こんなのも見つけてくださいな。
この石垣の曲線美がいやされます。↓ (私だけ?)
外で ベロタクシー発見!
来年は 名古屋城開府400年。はち丸君も400歳。
更に 地下鉄の柱に 岩瀬さん 発見!
この辺で 名古屋城レポ 終了です。
(いっきに書いたので おかしな文や解説があるかも、そんときはそっと教えてね)
コメント欄 開放しましたよ。
コメント、おてやわらかにネ。
この記事へのコメント
「ド」でもいいかもなぁ~
鹿とカラスのコラボ…神妙に写真見ていたところに
かなりウケマシタ!
おぉ CとDの刻紋 ナイスです。
といっても絶対にかってに彫ってはならんですぞ。
やってみたいけど・・。
いかんいかん、重要文化財でした。
鹿はお堀の中にいましたよ。
鹿の背中をつついていました。
鹿は気になるようで 振り落としてもカラスはしつこく背中に乗っていました。
らん太郎さんは今回地下鉄に乗りましたかぁ?
にしても もっといっぱいお話したかったです。
一番上の「だんご3兄弟」は前田家の奴でしたかね。
名古屋城は天下普請でしたからの。
豊臣恩顧の諸大名はエライ目に遭いました。
福島正則が泣き言を言ったのに対して、加藤清正が「嫌なら帰ってイクサ支度しろ」と言ったのは有名な話。
正則にせよ清正にせよ、尾張出身の大名はことごとく家康にしてやられ、それが現在のドラゴンズの運命を決定づけたとワシャ思うとる。
この歴史をひっくり返すことができるのは落合監督しかいないともね。
城マニアには名古屋城はあまり人気がないみたいですが、実はこの城は凄いんですよ。縄張り見ればわかりますけど、姫路城なんか目じゃない。家康の軍略の集大成みたいなもんです。
なお、築城には岡部又右衛門の子孫が関わったと思われますな。
以上、妄想終わり。
さすが 物知りの師匠、
豊臣恩顧の大名は大変なめにあったのですね。
この時代から ドラゴンズの運命が決まっていたなんて・・・。
ますます、家康が嫌いに・・・。
ほんとに 師匠と城見物したいです。
で、いろいろ教えていただきたいですヮ。
清正公の石曳きの像見たら 映画「火天の城」がよみがえってきました。
石の刻紋 ダンゴのはどこにあるのか確認できませんでした。前田家なのですかぁ。
拓本は仕事がらよくとります。なのでこんな所に
興味がわく私です。
一度も名古屋に行ったコトのない私には、貴重な観光ガイドになりますです。
ヒマはあるんだけど、お金がぁ~!!
・・・で、ファン感のレポはこれからですね?
そちらも楽しみにしてま~す!!
石垣の曲線って気にした事がなかったのですが
言われてみればそうですよね!!!
綺麗に削ってあったり
重ねてあったり
加藤清正公の銅像でお城の周りの道から
目立つように鎮座されている
銅像があるのですが
見られましたかー?
あの銅像が怖くて 大相撲の名古屋場所の時
バイトをしていた事があったのですが
怖くてそばを通れませんでした(汗)
迫力があるんですよ・・・
レポお疲れサマーでした(平に)
私も北海道行ったことありませんよ。
でも とうちゃんは今日北海道から
帰ってきます。
昼前に電話してみたら
「暖かいぞぉ」って言ってました。
ファン感はちょびっとしか写真撮りませんでした。
詳しくは別のブログで、どうぞ。
やっぱ、本家石黒ブログが一番ええね。
名古屋場所でバイトなんて、すっげぇうらまやしいがね!
ほんでもって 外にも「清正公」の像があるんですかぁ?それは知りませんでした。
体育館のほうかしらん?
迫力のある加藤清正も見てみたいがねぇ。
でも 名古屋城は広いねぇ
中日新聞本社のあるあたりも 堀の中だったらしい。